初めは1日が経つのが長かった
Zaviiが亡くなってしばらくの間、時が経つのがまるでスローモーションのように感じていた。
Zaviiが亡くなってしばらくの間、時が経つのがまるでスローモーションのように感じていた。来る日も来る日も涙が止まらず、このまま自分もあの世に行ってしまうのではと自分も周りの人も感じていたことでしょう。
悲しみの辛さとZaviiへの申し訳なさでもがき苦しむ状態がサイト作りに向かわせた。とにかくがむしゃらにZaviiへの思いをぶつける日々を送っていた。
ちょうどZaviiと同じくらいの大きさの猫の抱き人形を手に入れて毎日抱きしめて寝ることでやっと寝付くことが出来るようになった。
沢山の猫に関する書籍を図書館で借りてZaviiの病気を調べたり、ネットでも関連する医学文献などを海外のものも含め読み漁った。そのことで、より自分の力なさを確認して「自分の力不足、心不足」が悔やまれてならなかった。
Zaviiの写真やコラージュをつくり家じゅうに飾った。まるで生きていた時のように傍にいるような気がした。写真に向かっっているわけもないZaviiに向かい「Zaviiちゃん! Zaviiちゃん!」と大きな声で呼びかけて安心していた。(これって、はたから見たら少し頭がおかしくなってしまった人ですね。)
写真をみながらクレヨンでZaviiの肖像を描き始めた。Zaviiが生きていた時の姿が目に浮かぶ。そして、それで癒されていた。
そして、
約5か月
いつしか、時のたつのが早くなってきた。悲しみがなくなったわけでも自分の罪悪感がなくなったわけではないのに。この現象は人間が悲しみや苦しみで押しつぶされないように身を守るための防衛本能だろうと思う。
今はしっかりと生きなくてはと思うようになったが、それと同時に今までくすぶり続けていた家族間の問題も表に出てきたりする。そして、それがまたZaviiの死とも関係していたりして複雑な思いが交差する。
生きているということは大変です。年老いると体力もなく身体能力瞬時の判断能力も衰えるので辛すぎることもある。
しかし、
生き物は死ぬことで神になるのか
この頃はZaviiがだんだん神の存在になっていくような気がしている。そもそも、日本は神代の国。人も死を迎えると神になると言われていたと思う。
少なくとも純粋な動物たちは皆神代の国に行くのじゃないのか・・・
そんなことを感じ思うようになっている。
神になった存在は現世で生きる我々を守ってくれる。子育て中介護中の辛い時、昔亡くなった祖母や祖父が守ってくれていると感じることが沢山あったことを思い出す。神となった祖父母やご先祖様がいつもぎりぎりのところで自分を助けてくれていたと実感することが多々あった。そして今、次第にZaviiが神となりBaabaを応援してくれている。そんなことを感じつつある。